光顕寺について

真宗大谷派 光顕寺

096-357-6396

〒861-4106 熊本県熊本市南区南高江1-18-39

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光顕寺について

光顕寺について

由緒

光顕寺は、阿弥陀如来立像を本尊とする真宗大谷派(東本願寺派)の寺院です。
元々は石浦河内守藤原經國(つねくに)が平安末期である久安6年(1150年)に河内から肥後に下向し、髙家城(髙江城)を池ノ辻に築き、翌仁平元年に池畑に大栄寺を建立。その後白山に城を築き移り住み、髙家城跡に寺院を建立しました。

時代の流れと住民の求めで天正元年(1573年)、僧浄頸によって真宗寺院が再建され、これが現在の光顕寺にあたります。本堂は270年程、庫裏と本堂が300年程経過し老朽化が著しかったため、門徒及び有縁者によって改築が行われ、庫裏は昭和62年(1987年)、本堂は平成10年(1998年)にそれぞれ完成しました。

創建当時の天台宗寺院の礎石が光顕寺の手水鉢の土台になっており、山門をくぐると左手に鐘楼があります。現在では光顕寺の住民への奉仕として、毎日午後6時に時の鐘を撞いて地域の方々に時刻を知らせています。

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宗派について

光顕寺 ご本尊

真宗大谷派の本山である東本願寺は、当派の宗祖である親鸞聖人(1173年~1262年)の門弟らが宗祖の遺骨を現在の京都市東山山麓にあたる大谷から、現在の京都市円山公園付近にあたる吉水の北に移し、廟堂を建て、宗祖の影像を安置したことに起源します。

第3代覚如上人(1270年~1351年)の頃、真宗本廟は「本願寺」の寺号を名乗り、やがて寺院化の流れの中で本尊を安置する本堂が並存するようになりました。その後第8代蓮如上人(1415年~1499年)が教化に当たり、民衆に教えを広め、本願寺「教団」を作り上げていきます。
織田信長との戦い(石山合戦)に敗れた後、顕如上人の長男、教如上人(1558年~1614年)が本願寺を継ぎましたが、隠退処分を受け、弟(三男)の准如上人が継職しました。
その後江戸、明治と時代を経て昭和56年(1981年)、当派の最高規範である「真宗大谷派宗憲」を改正。

「同朋社会の顕現」「宗本一体」「同朋公議」を運営の根幹とし、一人ひとりが信心に目覚め、純粋なる信仰運動たる「同朋会運動」を軸として歩み続けています。

鐘
光顕寺 外観
お庭の木々

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